前回は、放流種苗の標識方法について説明した。種苗を生産するために、施設の建設費や維持管理費、人件費、餌料費、光熱水費などの資金が必要だ。
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放流事業としての費用対効果を検証するために、放流魚に目印としての標識を付けることもある。標識の方法は、ヒレを根元から抜き去るヒレ抜去法や背中にプラスチックタグを打ち込むダグ標識法など、漁業者でも簡単に見分けがつくものがある。
ただし、これらの標識は、種苗に負荷がかかるため、標識可能な種苗の体サイズが制約されたり、標識できる尾数に限りがある。
一方、放流魚の耳石を蛍光物質で染色する耳石蛍光標識法や、放流魚とその親との血縁(親子)関係を利用した遺伝標識法がある。これらの標識は全ての放流魚に施すことが可能で、体サイズ制限や標識の脱落もない。欠点は、外見で標識の有無が判断できない上、標識を調べるには特殊な技術や装置や必要となる。
目的は次世代回収型
放流効果を知るための標識方法は様々で、それぞれの方法に長所と短所がある。脱落し易いタグ標識を除けば、放流魚が商品として売られているところまで追跡可能だ。
その際、放流魚の市場価格や生産コストおよび生残率(混獲率)などを勘案すると、おおよその費用対効果が推定できる。
しかし、海産魚の放流の場合、放流された種苗が漁獲サイズまで成長し、市場に並ぶことが目的ではない。
種苗放流は、目的によって一代回収型と次世代回収型に分けられる。
一代回収型の放流は淡水魚に多い。例として、ダムより上流に放流されている海産系のアユがイメージしやすい。アユは年魚で、海産系のアユは河川の下流域で産卵した後、死亡する。
海産系のアユがダムより上流に放流された場合、生き残って成熟しても、ダムによって親魚の流下が妨げられ、産卵は期待できない。放流場所に産卵場が無く、しかも移動回遊が妨げられる場合、資源を積極的に回収する方が合理的だ。
一代回収型に対して、放流魚が既存資源に加入し、繁殖貢献することによって資源の増大を図ることを目的としたのが次世代回収型(もしくは資源添加型)だ。
寿命が長く、多回産卵を行う海産魚は、次世代回収型を目的とした放流である。さらに、放流魚の受け皿としての成育環境や産卵環境を整えることで対象種の成長と繁殖を促進し、必要なら漁獲規制を行うことで資源の生産性を高め、漁獲するのが栽培漁業だ。
次世代回収型の放流効果を検証する場合、放流魚の次世代が漁獲されるまでの長期的なモニタリングが必要だ。しかも、放流魚が繁殖を介して、次世代資源に貢献したことを証明する標識方法は確立されていないのが現状だ。
責任ある放流を
生物多様性では、生態系の多様性、種の多様性、個体群の遺伝的多様性が保全対象になっている。私たちが生物資源を永続的に利用するためのものだ。故に、集中放流によって、特定の種類の魚が増え、生態系や種の多様性のバランスが損なわれることは回避すべきだ。
遺伝的多様性は、様々な環境変化に柔軟に対応してきた証しとして蓄積された生物の財産であり、将来に向けて生き抜くための保険でもある。
自然界の魚は種内に高いレベルの遺伝変異を維持し、場合によっては、海域の環境特性に応じた遺伝子を保有していることもある。
その一方で、放流種苗は限られた数の親魚の受精卵に由来するため、遺伝的多様性の低下した種苗が生産されることもある。
こうした種苗が資源に加入すれば、既存資源の遺伝的多様性を喪失させる可能もある。放流効果が高いほど、そうしたリスクは高くなるのだ。
海の恵みを享受し続けるためには、生態系との調和と健全な資源の保全に配慮した責任ある放流が望まれる。
アオギスの放流を考える
東京湾はアオギス釣りが風物詩だったようだが、現在、本種の生息情報は絶えている。唯一、ある程度の規模で生息しているのが福岡と大分にまたがる豊前海だ。
では、豊前海産のアオギスから種苗を生産し、東京湾に放流すると、資源は回復できるのだろうか?
東京湾は自然環境も回復傾向にあり、干潟を成育場に持つ天然アユなどが増えている。よって、放流したアオギスが定着する可能性もある。
ただし、唯一、豊前海に残っているアオギスの個体数が少なく、遺伝的多様性は失われている。すなわち、豊前海のアオギスを用いて万単位の種苗を生産することは出来ても、残念ながらアオギスの種としての遺伝的多様性は修復できない状況だろう。
東京湾のアオギスの放流が成功したとしても、それは豊前海のアオギスの全滅に備えた危険分散となる。資源が枯渇すると、遺伝的多様性を含めた健全な資源回復は不可能になる。
東京湾のアオギスが消えた理由は諸説あるが、干潟の埋め立てなどによって本種の生息域が追いやられた上、漁獲や釣獲を続けたことかもしれない。
限りある資源を利用しているという自覚を持って、釣りを楽しんでもらいたい。
種苗放流への貢献
放流効果の把握は、種苗放流を継続するための重要な指標となる。標識された放流魚を釣りあげたら、最寄りの水産研究機関に連絡してほしい。
また、放流事業は公的資金に加え、一部、漁業者(団体)が負担している。海の恵みの恩恵を受ける受益者負担との考えだ。
ただし、漁業就労者は年々減少し、高齢化しているため、放流事業の予算は減少している。将来的には、公的機関による種苗放流は縮小し、漁獲制限や規制に基づく資源管理が強化されるだろう。
反面、(公財)日本釣振興会や(一社)日本釣用品工業会といった釣り団体が中心となって種苗放流が行われている。
現状では、公的機関と比べ、種苗放流尾数は少ないかもしれないが、海域によっては遊漁対象として人気のあるアオリイカ、メジナ、クロダイの釣獲量が漁獲量に匹敵するとの知見もある。
受益者負担ということであれば、今後の放流規模の拡大に期待したい。同団体は園児や小中学生を交えた体験型放流も盛んで、次世代を担う参加者が魚資源や環境に関心を抱く端緒となるだろう。
次回からは、クロダイの生態や放流効果について紹介したい。
(了)
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