「我々が毎日使用している水道水は安全なのだろうか?」。釣り人に限らず、こういった疑問を持たずに日々生活を送っている人が多いと思われる。しかし、特に河川においての魚の減少と、水道水の安全性の話も密接な関係が疑われる。さらに、我々の人体や健康、子供の成長にも関わる問題だ。ここでは、東京大学大学院の山室真澄教授に話を伺った。川の魚を増やすために釣り人が出来る事を伺うと、意外な提案が行われた。
日本の水道水からEU基準値の8倍の農薬が検出
(以下、山室真澄教授)
秋田市の水道水の調査結果は、一般の方にも衝撃的だと思います。2022年8月に行われた調査では、ネオニコチノイド系殺虫剤のジノテフランが868ng/L(ナノグラムパーリットル)という、EUの基準値の8倍にも匹敵する、非常に高い数値が検出されました。
つまり、水道水にEUでは考えられない高い濃度の農薬が混ざっていた事が判明したのです(表1)。
実は、水道水でEUの基準値を超える農薬が検出されたのは秋田市だけではありません。ここでは公表は避けますが、他にも2つの県で秋田市レベルの高い数値が検出されています。
日本釣振興会の助成も受けて各地の水道水を調査しました。その結果、ある一定の傾向が分かってきました。それは耕地水田率(耕地に占める水田の割合)が8割を超える地域では、ネオニコチノイド系農薬の最高濃度がEUの基準値を超えるという事です。
つまり、「米どころ」と言われる米の生産が盛んな地域の水道水には、全ての地域ではありませんが、高い数値の農薬が検出される傾向があるという事です。
ただし、年間を通して高い濃度の農薬が検出されるのではありません。水田でカメムシやウンカを駆除するための農薬を散布する7月や8月に、高い濃度のネオニコチノイド系農薬が検出される事が分かりました。
ジノテフランはそういった害虫対策として、水田でも一般的に使われている農薬(殺虫剤)です。水田で使用されたジノテフランは水溶性ですから、使用後は川に流れていきます。
その川が水道水の取水源となっていれば、水道水から高い濃度の農薬が検出される恐れがあります。当然、殺虫剤ですから魚を直接殺すという事はないにせよ、川に生息する魚のエサとなる節足動物等にも影響が出続けてきたと思われます。
ただ、水道水の場合は、浄水場で活性炭処理(活性炭とは木炭や石炭を加工して作った表面に無数の穴を持つ炭の事。活性炭に臭いの原因となる有機物等を吸着させる処理)が行われていれば、問題となるような数値が出る事はまずありません(表1)。
ネオニコ系農薬が活性炭に吸着されるからです。実際に、耕地水田率が9割近い新潟県の新潟市では、問題となるようなネオニコチノイド系農薬の数値は出ていません。これは、新潟市の浄水場が活性炭処理を行っているからです。
しかし、全国で全ての浄水場が活性炭処理を行っているわけではありません。市町村単位で、水道水の安全に対する姿勢は異なります。
水道水に安全性が疑われる場合は、都道府県ではなく、自分達の住んでいる市町村に訴えかける事で、状況が変えられる可能性もあります。
除草剤が引き起こした深刻な被害
1993年、新潟大学の研究グループが、新潟県で頻発していた胆嚢(たんのう)癌の原因が、除草剤として使用されていたCNP(クロルニトロフェン)である可能性がある事を発表しました。
胆嚢癌で亡くなる方は米どころと言われる新潟県、山形県、青森県、秋田県で多かったのですが、ダムや地下水を水源とする新潟県の上越市や十日町市では、標準化死亡比(人口構成の違いを省いて死亡率を比較する指標)は、全国平均かそれ以下でした。
一方で、水田地域を流れる信濃川や阿賀野川を取水源とする地域では、新潟市が男性で全国平均の約2倍、長岡市の女性も約2倍、胆嚢癌で亡くなっている事が分かりました。この時の調査では、上越市の水道ではCNPは不検出でしたが、新潟市では最大で554 ng/Lが検出されていました。
こういった事態が明らかになった事もあり、1994年に厚労省が水道法による水道基準値のCNPの基準値を100ng/Lと、以前の数値の50分の1まで厳しくしました。その後、CNP自体が1996年に使用禁止となりました。
つまり、過去にも水道水による深刻な被害が報告されてから、基準の見直しが行われ、最終的には使用が禁止された農薬があるという事です。今も同じ事が起こっているのではないでしょうか。
また、水道基準値は厚労省がADI(Acceptable Daily Intake・許容一日摂取量)を使用して、数値を決定しています。ADIは、ある物質について、人が生涯その物質を毎日摂取し続けたとしても、健康への悪影響がないと推定される1日あたりの摂取量の事です。このADIは世界的にも認められた基準だと厚労省は言っています。
しかし、WHOやOECDもADIは安全を確認する1つの基準ではあるが、複合汚染の影響は分からないと言っています。ネオニコ系農薬でも、水田で使用された後に河川に流れ込みます。その後、様々な化学物質と結びついていく可能性があります。つまり、ADIを使って出された数値は必ずしも安全であるとは言えないと思います。
また、ADIの数値を決めるための実験には、動物が使用されています。しかし、毒性のある物質を1年に1週間の間だけ、高濃度で投与し続け、何年も観察するといったテストはされていないはずです。
海外より緩い日本の農薬規制。「予防原則」に基づき対策を
欧州では、農薬規制について基本的な考え方として「予防原則」を採用しています。予防原則とは、環境や人体に重大、あるいは回復不可能な影響が出る事が考えられる場合は、科学的に因果関係が完全に証明されていない状況でも、規制を行うというものです。
そのため、EUでは飲用水に含まれる農薬は個別で100ng/L未満、総量で500ng/L未満と定められています。先の秋田市の水道水からは、複数あるネオニコ系農薬の1つからだけで868ng/Lが検出されているのですから、いかに異常な事態かお分かり頂けると思います。
予防原則は被害が出てからでは遅いですから、非常に合理的な考え方だと思います。EUではネオニコ系農薬の一部はそもそも使用が禁止されていますし、フランスでは2018年から全面的に使用禁止です。日本は海外と比べてネオニコチノイド系農薬に関する規制があまりにも緩いのが現状です。
低い自給率が招く甘い残留農薬規制
残留農薬規制(農作物に残った農薬が基準値を超えて残留する食品の販売・輸入等を禁止する規制)についても、日本は海外に比べて甘いと言われますが、2006年に残留農薬に関する新しい制度(ポジティブリスト制度)が導入されました。
これは画期的な制度で、残留基準が定められている農薬はその基準に従いますが、残留基準が定められていない農薬等については、一律に0.01ppmを超えてはならない事になりました。0.01ppmというのは相当に低い数値ですから、この時点では、日本は世界で最も残留農薬ついて厳しい基準を設定した国の1つだったと思います。
しかし、この厳しい基準も後に見直される事となってしまいます。
ポジティブリスト制度が始まった年に、全国的に有名な島根県の宍道湖の一部のシジミからチオベンカルブという除草剤が0.02ppm検出されました。基準値がない農薬については0.01ppmを超えると出荷できなくなるので、シジミが出荷できなくなると大問題となりました。その結果、チオベンカルブの基準を慌てて作る事となりました。
また、国内で生産されるものだけでなく、海外で生産されたものについても、残留基準は同じですから、基準値が決まっていない農薬について一律0.01 ppmを当てはめると、0.01 ppmを超える農薬等が検出されれば輸入が出来なくなります。
日本は食料自給率が約40%と低い国ですから、食料の大部分を輸入先に頼らざるを得ません。そうなると、残留農薬の基準も輸入先の最も甘い基準に合わせなければ、食料調達等に支障が出るため、基準が緩くなってしまう傾向があるのだと思います。
この問題は農薬製造業界だけでなく、食品業界、商社、農業従事者、行政など関わる人が多いですから、簡単に動かせる話ではないかもしれません。
だからこそ、「米」に注目するべきだと思います。川で魚が減ったという事も、米が最も関係していると思います。果物や野菜を作る畑と、米を作る水田は、分けて考えると良いと思います。
川魚減少の原因は水田農薬の可能性?
まず、日本の米の自給率は100%に近い水準を維持しています。つまり輸入しないでよいわけですから外国の規制に合わせる必要がなく、国内で解決できる問題です。また、水道水から分かる川の汚染の原因は、ほぼ全てが水田で使われる農薬だからです。
水道水を管轄している厚生労働省の研究機関で働いている研究者らが2020年に発表した論文では、全国12カ所の水道水と、取水している河川で農薬の濃度を調べると、水道水中濃度がEUの基準値を超えた農薬がいくつかあり、それがほとんど水田で撒かれていたものである事が分かりました(図1)。
水道水を管理している厚労省の研究者が発表しているのですから、これは重大な出来事だと思います。ちなみに、水道行政は2024年4月には厚労省から環境省と国交省に移管される予定です。
水田で農薬が撒かれ、それが川に流れ込みます。そのために水道水にも農薬が検出される事がありますし、その後、どのような複合汚染が起きているかも分かっていません。浄水場では活性炭処理が行われているところもありますが、その費用も水道代として我々が支払っているはずです。
そもそも、このような事態が起るのならば、最初から水田で無農薬や減農薬を行えばよいはずです。そうすれば、川に流れ込む農薬も無くなるのです。「日本の気候は特殊だから農薬は必ず必要」といった声もありますが、実際に佐渡島や兵庫県の豊岡市では無農薬・減農薬で米の栽培が行われています。変える事は出来ると思います。
農薬の影響を受ける生態系
私がネオニコチノイド系農薬の影響について研究を始めたのは、宍道湖で1993年からウナギとワカサギの漁獲量が激減し、その調査を行った結果、水田でネオニコチノイド系農薬が使われ出した事が原因であると突き止めたからです。宍道湖に流れ込んでいたネオニコチノイド系農薬が、宍道湖の生態系に重大な影響を与えてきた事は間違いありません。
農薬が撒かれた水田の水が流れ込む全国の河川で、同じように川の生態系が大きく変化していたはずです。しかし、ネオニコチノイドは無色無臭です。護岸工事や水質汚濁のように、目で見て分かるものではありませんから、宍道湖と同様に生態系が大きく変わっていたとしても、誰も気付きにくいのです。
ネオニコチノイド系農薬の問題も深刻ですが、川の生態系の変化で言えば、最も大きかったのは日本で除草剤が使われ出した時ではないでしょうか。太平洋戦争が終わり、各地の若者が仕事を求めて都会に集まりました。その結果、農村では若者の人手不足となり、若者の労働力不足を補うために農薬や化学肥料の開発や使用が進みました。
昔は河川や湖沼では沈水植物が多く見られました。これらは肥料として使用されていました。村の若者が舟を使い、水草を引き揚げるのです。これは大変な重労働でしたが、ここで男ぶりが決まるとも言われました。
しかし、若者が都会に行った事で労働力不足となり、代わりに農薬の使用を始めたところ、沈水植物というタイプの水草が枯れたという話を当時の農家の方から聞き、著書にまとめました。
沈水植物が無くなってしまう事で、生態系の生産者が変わります。そのため一次消費者や二次消費者も変わってくるなど、生態系に大きな変化がもたらされたと考えるべきです。
私は8歳の時に大阪の寝屋川という場所に住んでいました。そこで見た光景は今も忘れられません。
水田は生物相が豊かな場所で、ドジョウやタニシもたくさん生息していました。しかしある時、撒かれた農薬によって水田が死んだ魚で真っ白になっていたのです。
水田が白くなるぐらい魚がいたという事ですが、それが全てひっくり返っていました。子供心に衝撃的な光景でしたし、これ以来、私は米が食べられなくなりました。それほど、魚や生き物に影響のある農薬を撒いていたという事でしょう。
川の魚を増やすために…
話を戻しますが、川で魚を増やすためにも、また国民の健康や安全のためにも、まず出来る事は水田での無農薬や減農薬の取り組みを進める事だと思います。農薬を使っている米の不買運動も良いかもしれません。水田で無農薬化が進めば、川に流れ込む農薬も大幅に減り、まずは昔のように水草が生えてくると思います。
とは言え、川の魚がネオニコによって減ったと宍道湖のように証明することは困難です。ネオニコ以外の水質等も記録されていませんし、どの魚がいつどれくらい減ったかの記録もほぼありません。
宍道湖のように過去のデータが残っていない現在、できるとしたら、集水域でネオニコを使用しなくなった地域の河川と、その近隣で今もなおネオニコを使っている集水域の河川とで、魚類や餌となる節足動物がどう違うか比較することではないかと思っています。
◆ネオニコチノイド系農薬特集のページは、コチラ