ベテラン釣り記者の竹村勝則(たけむらかつのり)氏が「昔と今の釣り」について思うままに語る、「釣り記者の回顧録」。
第1回では、昔のフナ釣りとその変遷について語ってもらった。
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第2回では、現代のグラスロッドやカーボンロッドができる以前の投げ釣り用の竿の話をしてもらった。
竹竿で遠投の練習。投げ釣りで狙うのは当時はよく釣れた「ガッチョ」
グラスロッドやカーボンロッドが出来るまでは、投げ釣り用の竿は竹でした。
竹と言ってもヘラ竿のような作りではなく、竹を削って六角に張り合わせたもので、竿は重いが丈夫なものでした。
継ぎ目の歌口は金属製で、2本、3本継ぎの投げ竿でした。竹はしなりと反発力があり、当時は重宝していました。
しかし、今のカーボンロッドほど遠投できませんでした。道糸も今のようなPEラインがなく、ナイロンだったから細糸が使えず無理はありません。
それでも何とか遠投力を付けようと、広い川原へ出掛けては投てき練習をしたものです。
昭和の中期は遠くへ出掛けなくとも、大阪湾で魚がよく釣れました。
投げ釣りでは、ガッチョ、キス、カレイ、アブラメ、ベラなどがシーズンに入れば結構よく釣れたものです。
当時は電車釣行が普通だったので、釣行前日の夕方に、釣具店でエサのイシゴカイを買っておいて、翌日早起きして1番電車に乗る。
投げ釣りによく出掛けたのは、南海電車で行く大阪湾の泉州沿岸。難波駅発の1、2番電車は「魚釣り電車」と言われるほど、竿とクーラーにリュックスタイルの釣り人が多く乗っていました。
夏から秋によく釣りに行ったのは尾崎周辺で、沖向きの波止から投げ釣りをしました。
3mほどの竹の六角竿だから、今のカーボンロッドのように遠投はできませんでしたが、練習のおかげで、70~80mは投げることができました。
投げ釣りは何十m先から竿先にコンコンとアタリがくると胸がトキメク。大きくアワせてリールを巻くと、竿のしなり具合と手応えで、釣れているのは1尾か、2尾かが予想でき、それが的中すると嬉しかったものです。
尾崎の波止でよく釣れたのはキスより、泉州名物⁉の「ガッチョ」。この魚はヌメリゴチとも言われるぐらいヌメリがあり、2本の角のようなものがあるので、針外しはやっかいだが、魚体は白身で美味。煮付けてよし、天ぷらにしてもよしで、十分なオカズになった。
そんな「ガッチョ」が釣行毎に50尾も60尾も釣れたのだから面白かった。
でも今は、あれだけ居た「ガッチョ」が大変少なくなった。今は「ガッチョ」を専門に狙う人はほとんど居ないだろうが、たとえ釣れても小さく、もう昔の面影はない。
(了)
竹村勝則氏のプロフィール
竹村勝則(たけむらかつのり)
昭和16年12月生まれ。
月刊雑誌「釣の友」(釣の友社)編集長を経て、週刊「釣場速報」の編集長(名光通信社)等を歴任。
釣りの記者歴だけでも軽く50年を超え、今でも釣行回数は年間120日以上!
国内で最も古い時代から活躍する釣り記者の1人だ。