今回のトップインタビューは株式会社サンラインの梶尾延行社長だ。梶尾氏は2024年3月に中野郁夫前社長の後任として代表取締役社長に就任。サンラインとしては初の製造畑出身の社長だ。今後、会社をどのように成長させていくのか。山口県岩国市の本社で伺った。
体育教師から釣り糸メーカーへ転職。学生時代は甲子園に出場する球児
サンラインは1977年に宮本健彦氏が創業。その後、岡村亮治氏、池田康彦氏、中野郁夫氏、梶尾延行氏と社長のバトンを繋いできた。梶尾氏は5人目の社長となる。まず、梶尾氏の経歴を簡単に紹介する。
梶尾氏は1966年生まれの58歳。小学校時代から野球を始め、高校時代は夏の甲子園に出場するほどの球児だった。甲子園では後に「ハマの大魔神」と呼ばれる佐々木主浩選手とも対戦した。
高校卒業後は日本体育大学に進学し、体育の教師を目指す。大学卒業後は山口県の周防大島町と柳井市の中学校でそれぞれ1年間、教員として勤務した。その翌年、釣り糸メーカーのサンラインに入社する事となる。
梶尾社長(以下、同様)「大学を卒業して地元の山口県柳井市に戻ってきた時、教職に就くまで1カ月間ほど時間がありましたから、サンラインの隣にあるスポーツ店でアルバイトをしていました。偶然、サンラインには小学校から一緒に野球をしていた人が勤めていて、お互いの昼休みにキャッチボールをするようになりました。そうしている内に私はサンラインの野球部に入る事になりました。
2年間は中学校で勤務しながら、休みの日はサンラインの野球部員として試合にも出ていました。しかし、3年目は野球部も辞めて、教員の採用試験に集中すると決めていたのですが、そこで転機が訪れました」。
会社のスローガンに感銘、サンラインへの入社を決意
当時、教職員の採用試験は採用枠に比べて応募者が圧倒的に多く、非常に狭き門であり、教員免許を取った人が実際に教員になるまで、長い順番待ちの状態だった。
同じ時期(1991年)に、サンラインは事業拡大のため、現在本社のある岩国市玖珂町の瀬田工業団地に新工場を建てる事になり、人材募集を積極的に行っていた。梶尾氏はサンラインの野球部に入っていた事もあり、誘われて面接に行くと、当時の宮本社長から「明日から来てくれ」と即日採用の返事があった。教師への採用はいつ順番がくるかも分からず、悩んだ末にサンラインに入社を決めた。
「当時、私は体育の教師になって、母校の野球部の監督となり、再び甲子園に出て校歌を歌うという夢をもっていました。しかし、サンラインの面接に行った時に、『小さくとも世界一になろう』という会社のスローガンを聞きました。野球で日本一を目指すよりスケールが大きいなと思い、サンラインという会社に惹かれました。そこで、夢は一旦保留して、サンラインへの入社を決めました」。
入社後は製造部、三交代で釣り糸を生産。後に海外事業部の部長も兼任
入社後、最初に配属されたのは製造部紡糸班。社内研修後は三交代で勤務しながら、土日もフル稼働の工場でひたすら釣り糸の生産に励んだ。
その後、製造部製造課の係長となり、生産管理の仕事を任される。さらに生産管理システムの導入、労務管理、外注管理など担当する範囲が広がり、2006年には製造本部製造部部長として、製造部全体の指揮を執るようになった。
製造畑一筋で歩んできた梶尾氏だが、2007年には海外事業部の部長も兼任する事となった。
「当時、会社では海外売上の拡大と新規事業を強化する方針が立てられました。その時の海外売上の8割はOEMで2割が自社製品でした。つまり、海外ではサンラインというブランドはまだまだ浸透されていませんでしたし、売上もお客様の都合で大きく左右される状況でした。そこで、当時の岡村社長は旧態依然のやり方を刷新して、新たに海外事業部を立ち上げました。その責任者に、私が任命されました。
私は貿易の経験等もありませんでしたが、野球で言えば学校に赴任し、弱小チームを甲子園に連れていくようなプロセスの始まりだと感じました。海外事業を実際に始めると試行錯誤の連続です。こういった流れの中で、中国にも加工工場を立ち上げました。
海外販売を強化すると言っても、世界を見渡すと広いので、強化する5つの国をあらかじめ決めて、それぞれの国に応じた戦略を取りました。その中で、強化する国の1つであるアメリカでも本格的に自社ブランドを浸透させていくためには、自社で販売会社を立ち上げる必要があると判断し、2008年にサンラインアメリカを設立させました。当時は中国の工場とアメリカの会社を行ったり来たりで、年間100日ほどは海外へ出張していました」。
その後、2008年には取締役、2014年に常務取締役、2018年に専務取締役に就任。会社全体を見ながら、海外の子会社との連携に重きを置いて務めてきた。そして、今年、代表取締役社長に就任した。
釣り人の「わがまま」に応えられるメーカーに
梶尾氏は新社長として、サンラインを今後どのように舵取りをしていくのか伺った。
「私が社長になったからと言って、サンラインが今までと違う会社になるわけではありません。今までも取り組んできましたが、メーカーとして釣り人に本当に喜んで頂ける良い商品をタイムリーに開発し、安定して供給していきます。この事に責任を感じていますし、更にレベルを高めていきます。
当社は、テスターをして頂いている方も多いですが、今までお世話になった方々にもしっかりと恩返しをしつつ、新しくテスターになって頂いた方や、新しく応援して頂けるファンの方々にも目を向けて、今まで以上に、釣り人に喜ばれる商品作りに取り組んでいきます。
釣りはレジャーでもあり、真剣な競技にもなります。その中で、各釣種において実に多様なご要望が生まれます。こういった釣り人の、いわば『わがまま』にいかにお応えできるかが大切だと思うのです。例えば、釣り糸の太さは1.5号の次は2号で良いと思うのですが、やはり1.75号が必要なのです。そういった釣り人のわがままに応えられた回数が、我々のご褒美になると思っています」。
「小さくとも世界一になろう」。海外市場にも積極的に取り組む
梶尾氏は海外での販売拡大にも力を入れてきたが、今後の海外展開や、国内の販売方針について伺った。
「日本の釣り糸の品質は世界一だと思っています。我々も海外に出れば、日の丸を背負って戦っているという自負があります。日本の釣り糸メーカーが世界で更に活躍すれば、日本の釣り具メーカー全体にも良い影響を与えられると思うのです。
磯釣りは世界に誇る日本の伝統的な釣りですが、竿、糸、ウキ、針などあらゆる部分で繊細な要素が集まって1つの釣りが確立されています。それぞれのメーカーは、その繊細な要素に対応出来るスペックが求められます。こういった日本の釣り人の繊細な要求に応え続けてきたからこそ、釣り糸に限らず、日本の釣り具は世界一の品質の高さを誇っていると思うのです。
当社は創業時から『小さくとも世界一になろう』というスローガンを掲げてきました。これからも世界一を目指し、日本の釣り糸メーカーとして自負を持ちながら、海外市場にも取り組んでいきます。
国内の販売についてですが、販売方針等について大きな変更をする考えは今のところありません。当社には優秀な営業が揃っていると思います。まずは、この営業体制を活かしつつ、中身が本物の商品をしっかりと生産し、商品を安定してお客様にお届けしていきたいと考えています」。
『こんな糸が出来るんだ!』来年のフィッシングショーで発表予定。新技術の開発も積極的に取り組む
新しい釣り糸の登場は、新しい釣りのジャンルを生み出す事もあり、釣り界への影響は大きい。今後の商品開発や新技術への取り組みについて伺った。
「高品質な商品を提供していく事はもちろんですが、新しい技術開発も積極的に行っています。近いうちに『こんな糸が出来るんだ!』と皆様に驚いてもらえる釣り糸を発表します。来年(2025年)の横浜のショーを皮切りにお披露目出来るはずです。
また、当社が力を入れている『プラズマ加工技術』は、釣り糸にも活用され、お蔭様で、世界中で好評を頂いています。実は釣り関係以外にもヘルスケアや農業などで当社のプラズマ技術の採用が広がっています。今後更に拡がっていくものとして期待しています」。
「アングラーズエコロジー」自然環境維持回復を目指して
サンラインでは今年「アングラーズエコロジー」という活動ポリシーを発表した。この活動について伺った。
「アングラーズエコロジーは、中野社長の時代から始まったのですが、当社は企業理念に『自然環境維持回復のため、サンラインがなしえる最大限の努力をしよう』という一文があります。それを具現化するためのポリシーです。
具体的には、リールの下巻き専用ラインとして、当社が開発したバイオマスPE(ポリエチレン)樹脂を素材としたものを提案させて頂きました。これは、釣り人にも環境にも優しい取り組みだと思います。他にも釣り場の清掃や環境負荷を低減する釣り糸の開発など、ポリシーに沿った活動を行っています。このポリシーを発表した事によって、社員の環境に対する意識も確実に高まったと感じています」。
釣り界全体で後継者や事業承継の対策を
最後に釣り界への提言と今後の抱負を伺った。
「私が釣り界で気になっている事は後継者問題です。釣りの様々な問題も、やはり最後は人の問題になります。例えば、渡船の現状を見渡した時に、後継者不足が多く見受けられます。渡船の事業継承が上手くいかなければ、将来的には磯釣りをはじめ、渡船を必要とする釣りは廃れてしまうかもしれません。船宿や管理釣り場等も同様ですが、人の継承、事業承継の仕組みが整っていなければ、伝統的な釣法も途絶えてしまうのではないかと危惧しています。
将来的に我々も釣り糸の製造販売を行っているだけでは、立ち行かなくなる可能性もあると感じています。解決策の1つとして、例えば釣りメーカーで定年退職された方々を再雇用して、渡船や釣り堀の運営をして頂くという仕組み作りも、不可能ではないと思います。もともと高いスキルをお持ちの方が多いですし、やる気を持って働いて頂けると思います。こういった事業は、1社で行うには限界もありますから、釣り界として仕組みを作っていく必要があるのではないかと思います。
最後に、中野前社長は、以前のインタビューで歴代社長に比べて『少し釣りが上手いと言われる(笑)』と述べておられました。そういう点で言えば、私は歴代社長と比べると『本当に釣り糸が作れる社長』だと思います(笑)。私の使命は、今までの社長もされてきたように、良い形で次の社長にバトンを繋ぐ事です。そのために、サンラインはこれからも、メーカーとして釣り人に喜ばれる本当に良い商品を開発し、安定して供給し続けるというメーカーの本分に更に磨きを掛け続けていきます」。
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