チヌの落とし込み用リール、オモリ各種、鮎用品、ルアーなど約2500種類の釣り具を扱う老舗メーカー
今回紹介するのは株式会社大島製作所(大阪府東大阪市本社・大島正旭社長)だ。
チヌの落とし込み用リール、オモリ各種、鮎用品、ソフトルアーなど約2500種類の釣具を扱う老舗メーカーで、フィッシングショーOSAKAにも毎年出展し、人気のブースとなっている。
創業当初は釣具メーカーではなく「鈴」を作る会社だった。どういった経緯を辿り釣り具メーカーとして成長してきたのか、大島製作所の大島正旭社長に話を伺った。
創業は1945年、「福鈴」の製造業として出発
大島製作所の創業は1945年(昭和20年)、太平洋戦争終戦の年だ。大島正旭社長の実父である大島高氏が創業者だ。ちなにみ、この年に大島正旭社長が誕生した。
大島高氏は戦前、兄が経営する工場に勤務し、湯たんぽやバケツを作っていた。兄弟はそれぞれ兵役を果たし、終戦を迎えた。弟の大島高氏は大阪に帰ってくる事が出来たが、工場を経営していた兄は帰ってこなかった。
兄は終戦間際に動員され沖縄方面に行ったが、その後の事はどこで亡くなったのか等、戦地に赴いた多くの人と同様に今も分からないそうだ。
終戦後、大島高氏は兄の工場から独立して東大阪市三ノ瀬で大島製作所を設立した。最初に作ったのは「福鈴」だ。
「福鈴」は神社仏閣(お守りなど)、装身具(アクセサリー)はもちろん、猫の首輪や、自転車のカギ、栓抜き、キーホルダーなどあらゆるものに付けられている。
なぜ鈴を選んだかといえば、もともと湯たんぽ等を作っていた事もあり、プレス加工の技術が活かせたからだ。さらに、鈴ならば金型が小さくて済む。金型が小さければ機械も小型で済む。つまり、狭い工場でも鈴は製造が出来る製品であり、需要もあったからだ。
1947年(昭和22年)には、現在主流となっている丸型の「宝来鈴」の製造を開始した。増産のために東大阪市三ノ瀬に第二工場も増設した。「宝来鈴」は福鈴より生地が厚い丸型の鈴の新商品だ。名称も福鈴のように縁起の良い名前として「宝来鈴」と命名した。
福鈴も宝来鈴も良く売れた。神社仏閣はもちろん、鈴は様々な物に使われるため取引先も多かったそうだが、その中に釣具店があった。
「ハジキ」と呼ばれる釣りで、鈴が使われた事が釣り具参入のキッカケに
釣りでは当時、「ハジキ」と呼ばれていた釣り方があった。
竿の変わりにクジラの骨を使った手投げの釣り方で池や川、海などで色々な魚を釣っていた。そのクジラの骨の先に鈴が付けられていた。大島製作所が作る鈴は感度も良く、音もキレイで引き合いも多かった。
その後、レジャーブームの到来で釣りもブームとなり、釣具関係業者との取引も年々増加し、懇意となる卸業者も増えていった。大阪漁具、大藤つり具、中央漁具、浜田商会等がそうで、特に大阪漁具には大きな仕事を紹介してもらうなど、大変世話になり感謝しているという。
大島製作所が今でも取引のある問屋は、昔に鈴を収めていた問屋だ。
大ヒット商品「クリップ鈴」が誕生。釣りの定番品に
釣りが盛んになるにつれ、巡回していた卸業者や釣具店からも大島製作所に「釣具でこういったものを作ったらどうか」と多くの提案をもらうようになった。
そして、実際に作って大ヒット作となったのが「クリップ鈴」だ。竿先にクリップで鈴をつけるもので、定番商品となっていた。今も投げ釣りや様々なジャンルの釣り人に広く使われている。
クリップ鈴以外に天秤やオモリの製造を開始。1970年代中頃には、釣り具が売上の多くを占める
またクリップ鈴以外にも、天秤やオモリなどの製造も開始し、1970年代中頃には売上の多くを釣り具が占めるようになっていた。
1976年(昭和51年)、創業者の逝去により大島正旭氏が2代目の社長に就任。組織変更も行い、株式会社大島製作所となった。
この頃に、オリムピック釣具がリールのOEM先を探していた。大島製作所は金型製造から製品まで一貫して作るため、金型代も安く、さらに「スプールにカーボンを使ってはどうか」といったアイデアも採用され、大島製作所がOEMを引き受ける事となった。
その後、リールは順調に売れ続けていたが、オリムピックがマミヤ・オーピーとなり、最終的には釣具事業から撤退となる。
マミヤ・オーピーの好意に感謝
この時に大島社長はマミヤ・オーピーを訪れ「金型から全て自社が作ってきたリールを継続して販売させて欲しい」と依頼しに行った。
それまで仕事面でもトラブルがなく良好な関係を築いてきた事、仲介者の尽力やマミヤ・オーピーの好意により、最終的には町工場である大島製作所でも支払える金額で、商標や意匠等も含めて落とし込みリールの製造販売の権利を譲ってくれたそうだ。
自社ブランド「Oland(オーランド)」を立ち上げ、自社製品の発売も開始
その後、自社の釣具オリジナルブランド「Oland(オーランド)」を立ち上げ、自社ブランドでの釣具の発売も行うようになった。
製造販売を引き継いだリールは、大島製作所の自社商品として少しずつ改良を加えて、現在も多くのチヌ釣り師から好評を得ている。
何度行っても釣れないチヌ。ところが、上手な人と一緒に行くと、いきなり45㎝!この感動を味わって欲しい
チヌ釣りに関しては、今も続くエピソードがある。
大島社長はチヌ釣りのためのリールを作っていたが、実際にチヌは釣った事が無かった。
釣りに何度行っても釣れなかったそうだ。大阪の見本市でもお客さんからチヌ釣りの質問や話をよくされるが困っていたという。
その時、お客さんの1人から「釣った事がないなら、私が教えてあげよう」と言われて一緒に釣りに行くと、45㎝の大物が釣れた。
大島社長はチヌの強烈な引きに感動し、また「今まで何度釣りに行っても釣れなかったのに、きちんと上手な人から教えてもらえば、こうやって感動、ロマンを味わえるんだ」という事を強く実感した。
この経験から、今も続く「落とし込み初心者講習会」が行われる事となる。
2020年は新型コロナウイルスの影響でやむを得ず中止となったが、2004年から17年続いている人気の講習会で、釣り人の拡大にも貢献している。
他にも、色々な縁もあって鮎用品の扱いを始め、また最近ではソルト関係のルアーやレイクトローリングの用品を発売するなど、積極的な事業展開を行っている。
金属、樹脂、ゴム等の金型設計、あらゆる加工から製品まで一貫生産できるのが強み。新たな技術を習得しながらチャレンジを続けたい
大島製作所の今後について、大島社長は次のように語る。
「我々はモノ作りのメーカーですから、やはり新しい知識を得ながら、様々な技術を習得していく事が大事です。釣具業界に限らず、新しいチャレンジをして、経営を安定させ、出来る事を少しずつでも増やしていく事が大切だと思っています。今も金属、樹脂、ゴム等の金型設計、あらゆる加工から製品までの一貫生産が出来るのが強みですが、更に伸ばしていきたいと思っています。
もちろん、釣具がメインですし、初心者講習会なども今後も続けていきたいと思います。ご協力をよろしくお願いします」
鈴から釣り具、そして次の主力商品開発のために努力を欠かさない大島製作所の今後が注目される。