ベテラン釣り記者の竹村勝則(たけむらかつのり)氏が「昔と今の釣り」について思うままに語る、「釣り記者の回顧録」。
今回は、昭和の時代に最盛期を迎えたハエ(オイカワ)釣りについて語ってもらいました。
寒中修行のようなハエ釣り。それでも当時は大人気、釣りクラブも研究も旺盛
ハエ(オイカワ)釣りは、昭和の時代が最盛期でした。15㎝前後の小魚ですが、針に掛かるとキビキビした手応えで、銀鱗をキラメかせてあがってくるのが魅力で、どこの川でもよく釣れる手軽な釣りの1つです。
古くからハエ釣り専門の釣りクラブがたくさんあって、月例釣り会や、春、秋には釣り大会を催しました。
毎年冬には寒バエ長寸大会が釣具店、百貨店の釣具売り場、各ハエ釣りクラブで催され、1㎜を競う接戦で寒中に熱くなったものです。
寒バエ釣りは、氷が張るような冷たい川へ立ち込み、かじかむ指でエサをつかみ針に付けて竿を振る。
足下からじんじんと冷えてきて、1時間も立ち込んでいられない。まるで寒行のような釣りだが、1日かけてわずか数尾の釣果でも満足できた。
ハエ釣りの研究も盛んで、桐のウキからクジャクの羽根ウキ、カヤウキ、そしてもうこれ以上軽いものはないというハッポウ材のウキになった。
仕掛けに付けるオモリは、ジンタンオモリの7号、8号という極小を5段、7段、10段の多段打ち。
数釣りには虫エサからスパゲッティ、そしてネリエとなり、自動エサ付け器が考案された。
自動エサ付け器には、釣ったハエを針から外す、自動針外し装置のピンを付け、ハエを外したあと針をスベラせて自動エサ付け器のノズルに当ててネリエを付けて仕掛けを打ち込む。
名人はハエを掛けて針を外し、エサを付けて仕掛けを打ち込むのにわずか10秒ほど。手返しの早さ抜群で1分1尾、いや時速100尾前後も釣るまで進歩した。
一般の人が1日で釣る数を、わずか1時間で釣ってしまうのだから恐れいる。
すべての釣り人がこの釣法を真似たわけではないが、これだけ差が付くとついていけない。
ハエ釣り釣法は行き着くところまで行ったと思われる。
「ハエよ、どこへ?」魚も釣り人も減ったハエ釣り
ハエはどこの川でも居る魚なので、決して釣り切ったわけではないが、ここ10年、いや20年以上前から次第に魚影が少なくなってきた。
以前は50尾、100尾と釣れた川でも、今はその10分の1ぐらいといえばちとオーバーかも知れないが、ハエ釣りクラブが月例会をする川選びに苦労している。
ハエが少なくなった原因は、浅学な私には分からないが、ハエは4、5月頃が産卵期で、オスはエンゲージカラーのキレイな魚体になる。
オスはメスより大きいので、釣れると嬉しいのだが、そのサイズは近年小さくなっている。
どこの川ともハエが少なくなったのは確かで、ハエよどこへ行ったと言いたいのは、ハエ釣り師のエゴでしょうか。
ハエが少なくなったせいか、ハエ釣りスタイルが現代の若者に受けないのか、とにかくハエ釣りをする人が少なくなったのは確かです。
近畿地方にはハエ釣りクラブがいくつもあったが、そのハエ釣りクラブも高齢化社会と同じく会員は70歳、80歳代となり、昔のように釣行ができず、やむなく解散せざるを得なくなったハエ釣りクラブがいくつもある。
私が知る限り、今も活動しているハエ釣りクラブはほんの数クラブです。
釣りクラブの高齢化は、ハエ釣りクラブだけではないと思うが、釣りを趣味とするものとして、何だか寂しく思うのは私だけでしょうか。
(了)
竹村勝則氏のプロフィール
竹村勝則(たけむらかつのり)
昭和16年生まれ。
月刊雑誌「釣の友」(釣の友社)編集長を経て、週刊「釣場速報」の編集長(名光通信社)等を歴任。
釣りの記者歴だけでも軽く50年を超え、今でも釣行回数は年間120日以上!
国内で最も古い時代から活躍する釣り記者の1人だ。